花火の心得

日本が世界に誇れる芸術作品「花火」この文化を多くの人に「写真」を通して伝えたい。

HISTORY

黒色火薬から始まる花火の歴史

花火の歴史は黒色火薬から始まった。6~7世紀頃に中国の錬金術である錬丹術と呼ばれる不老不死の霊薬を研究した過程で生まれたそうだ。

黒色火薬は硝石75%、硫黄10%、木炭15%で構成され、大半の割合を占める硝石とは、硝酸カリウム(窒素化合物の一種)が含まれた天然石の事である。中国では採掘が可能だが、日本では輸入に頼るしかなかった。しかし、少量ながら人畜の糞尿を酸化させた古土法と呼ばれる方法でも人工的に作られていた。

当初はこの硝石は火薬の原料としてではなく、火に焚べると勢いが増す事で知られ、秦の始皇帝が建設した万里の長城では夜間に敵が襲撃した際の合図に使われていた。この物見櫓で焚火ができる施設を烽台と呼び、昼間は火ではなく煙(のろし)で敵の襲撃を知らせていた。

日本でも664年、天智天皇の時代には、唐(中国)に習って合図の用途で使われ、対馬・壱岐・筑紫の三国に烽燧(烽台に似た物)を設置し、そこを防人(兵士)に守らせ、中国大陸・朝鮮半島からの侵略に備えた。

一般的な黒色火薬の製法は木炭をすり潰し、硫黄を混ぜる。その後、硝石(硝酸カリウム)を加え水で練り合わせ固めて乾燥させる。現在では、粒の大きさによって煙火用粉火薬(星や割薬の原料)、黒色小粒火薬(花火玉の発射薬用)、玩具用黒色火薬、狩猟用黒色火薬(ガンパウダー)、黒色鉱山火薬(花崗岩の切り出し)などに分類される。

その中国で発明された黒色火薬は13世紀頃にアラビア商人の手によってシルクロードを通ってイスラム諸国へ、その後ヨーロッパへ広まり銃火器として使用される。そんな中、火薬を応用したイタリアのフィレンツェでは14世紀後半に世界初の花火が誕生する。当時は宮廷花火と呼ばれ、貴族をもてなす為に行われ、花火の形状は火を噴く人形や車両の様なものだったそうだ。現代でもイタリアでは花火が盛んであり、近隣国であるマルタ共和国では春頃に国際花火大会なども開催されている。

日本人が初めて火薬を武器として使用されているのを見たのは、鎌倉時代中期、1274年モンゴル帝国のフビライハンが攻め込んだ元寇だと言われる。てつはう(鉄砲)または火まりと呼ばれ、球体の容器には陶器が使われ、中には火薬を詰め込み導火線でつながれていた。爆発した際の殺傷力を上げる為に鉄や青銅器の破片も入っており直径約20cm、重量は4~10kgもあったようで接近戦での使用が多かった。現代の手榴弾の原型になったと言えば分かりやすいだろう。

その後、時代は流れ1543年種子島にポルトガル人が漂着。鉄砲(火縄銃)が伝来された。当初は猟銃として使われていたのだが、すぐに九州全土での戦場で使われる様になった。その後は中国・近畿地方を通って尾張にも伝わり織田信長が有効活用し、1575年長篠の戦いで甲斐の武田軍を打ち破る事になる。現代でも九州地方や尾張国(愛知県)、甲斐国(山梨県)では火薬を扱う花火が盛んな場所である。

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執筆者:

花火写真家として全国の良質な花火文化を記録や保存、そして拡散を目的に活動しています。年間で30~60回程度の花火撮影を行います。日本花火鑑賞士会関東支部会員。◎当サイト掲載の文章や画像の無断使用を禁止しています。
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