花火の心得

日本が世界に誇れる芸術作品「花火」この文化を多くの人に「写真」を通して伝えたい。

HISTORY

日本最初の花火愛好家 山下清

「放浪の天才画家、裸の大将」で知られる山下清(1922年3月10日 – 1971年7月12日)。現在でこそ、北海道から沖縄まで良質な花火を求めて旅をする花火愛好家は各地にいるのですが、日本で最初の人物は恐らく彼だと思われます。旅行のついでに花火を見る訳ではなく、花火の為に旅行をしていたのは、まさに花火愛好家の大先輩と言っていいでしょう。

代表作の一つでもある「長岡の花火」はあまりにも有名であり、他にも沢山の花火をテーマにした作品が残されています。しかも、現代でも花火愛好家が好んで行く様な花火大会ばかりに出没しており、花火の品質についても理解があったのでしょう。ここでは、その足跡を辿ってみる事にします。

 

江戸川の花火(東京都江戸川区)

15歳の頃(昭和12年)の作品、現在だと江戸川花火大会にあたる。絵画ではなく、貼り絵と言うジャンルになり、ちぎり紙とも呼ばれる。和紙を使用し、少しずつちぎって台紙に貼り付け制作される。当時、山下は八幡学園に在籍していたので、市川市側から見ていると思われ、正式には市川市民納涼花火大会を見ていた事になるのだろうか。

 

長岡の花火(新潟県長岡市)

28歳の頃(昭和25年)の作品、正式名称は長岡まつり大花火大会。戦後に慰霊の為に打ち上げられ復活し今日に至る。山下は花火の筒場に2回ほど出没しており、花火師である嘉瀬誠次に追い払われたそうだ。その行動は花火マニアそのものであり、皆さんは真似をしない様に。こちらも貼り絵での作品になる。ちなみに嘉瀬は後にこの作品を手に入れ、現在も大切にしているそうだ。

 

両国の花火(東京都墨田区)

33歳の頃(昭和30年)の作品、現在では隅田川花火大会の名称に変更されている。こちらは油絵での作品。現在では見られない仕掛け花火コンクールの様子も描かれている。この頃になると作品の依頼も多く、著名な山下の為に各地で観覧席を用意してくれる様になったそうだ。現代の公式カメラマンの先駆けだろうか。

 

富田林の花火(大阪府富田林市)

47歳の頃(昭和44年)の作品、現在では教祖祭PL花火芸術の名称になる。この花火大会では赤色か白色のどちらかの花火で最後を迎えるのだが、この当時も同じだったのだろうか。一面が赤色で染まるフィナーレの場面に感じる。翌年、眼底出血と言う網膜の病気にかかり貼り絵としての作品はこれが最後となってしまった。じっくり見るとかなり緻密な作業なのがよく分かる。もしかしたら、目の使い過ぎが原因だったのかもしれない。

 

制作年数不明 ※情報はこちらにお寄せください

諏訪湖の花火(長野県諏訪市)

諏訪湖祭湖上花火大会、山下は特に諏訪湖の花火が好きで何度も足を運んでいる。「ナイアガラ花火と見物人」などの作品も残している。昭和46年の第23回の大会では、山下の顔を型どった仕掛け花火で彼の冥福を祈った。

 

熊谷の花火(埼玉県熊谷市)

熊谷花火大会。千輪菊と柳の花火が描かれている。現在では埼玉県の花火会社7社によるスターマインコンクールが行われている。

 

清水寺(京都府京都市)

現代だと千日会観光祭での様子だと思われる。花火を主体にするだけでなく、大文字焼きや観客を入れ、その場の雰囲気が分かる作品にするのは、花火写真に通じるものがある。

 

沖縄の花火 ※場所不明(首里にて)

別の作品に首里にてと書かれているので沖縄には間違いないのだが、現在は首里地域で花火大会が行われている様子がないので、所在地不明。

 

山下清 花火語録

「僕は花火が大好きですが、それはまだ子供だからだと言う人があります。ー 中略 ーしかし何と言われても花火はきれいなので僕はこれからも夏になったら見物に行こうと思っています」(作品展図録)

「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら、きっと戦争なんて起きなかったんだな」(長岡の花火を見て呟いた感想)

「去年の夏は諏訪湖の花火を見たが、今年の花火見物はどこに行こうかな」(最後の言葉)

 

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執筆者:

花火写真家として全国の良質な花火文化を記録や保存、そして拡散を目的に活動しています。年間で30~60回程度の花火撮影を行います。日本花火鑑賞士会関東支部会員。◎当サイト掲載の文章や画像の無断使用を禁止しています。
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